食事というものは必ず人と人のつながりに関係のある衝動が潜んでいます。
食事に集まる人々は一種の共同体を作っているのです。
特別な食事法に固執し続ける事は、ある程度、共同体から離れる事を意味します。
ルドルフ・シュタイナーは、必要となるどんな食事療法でも、
その後できるだけ速やかに正常な食事習慣にもどるべきだという見解です。
特別な食事療法は、どんなものであれ、私たちをいくらか非社会的なものにします。
もし私たちがある種の好き嫌いを克服するならば、
それは私たちの魂を老齢にいたるまで活動的にする助けとなるでしょう。
(もちろんアレルギーの場合はこの限りではありませんが!)
精神的な高い認識を得るために、これを食べるべきであり、
あれは食べるべきでない、と思っている人がいるようですが、
それは一面的に発達させる、つまり派閥主義やドグマ(独断、教条)に陥る危険性を伴っています。
私たちは、目の前にある食べ物だけを食べるのではありません。
私たちは食べ物をとおして、その背後に存在する霊的なものも、いっしょに食べるのです。
私たちは食べ物をとおして、その背後にある霊的なものと関係するのです。
禁酒、菜食、肉食について、賛成、反対という観点からはお話しません。
ドグマ的な意見、これが唯一だという意見は、精神科学とはまったく関係ありません。
個人という狭い限界から発する偏見を越えて、
事物の壮大な関連を見上げる事ができるのは、菜食のおかげです。
大きな観点から自由に人生と思考を整理できるのは、菜食のおかげです。
しかし、私は菜食主義を先導するものではありません。
肉食は、人間にとって、今日なお、必要なものです。
地上の人間は堅固であらねばならず、個人的になるべきだからです。
人間が個人的な興味を抱くのは、肉食のおかげです。
菜食を好む民族は霊性への素質を有し、そうでない民族は勇敢で果敢です。
個々のことがらに関して、まだ多くのことが語れますが、
ここでは2つの例をあげて、私たちが一面的であるべきではないことを示そうと思います。
排他的な菜食主義者は、「私たちは牛乳もバターもチーズも食べてはいけない」といいます。
しかし、牛乳は動物の中で特に生命体の生産に関与しているものです。
人間は乳児のころ、ミルクだけで生きることができます。
乳児が必要とするすべてがミルクのなかに含まれています。
高齢になって、もっぱら牛乳を飲んでいると、特別の働きが得られます。
牛乳には、人々を治癒的な作用を及ぼすことができる力を自分のなかで発展させることができます。
人々を治療しようとする人は、もっぱら牛乳を飲むことによって、特別な助けを得ます。